October 19, Wednesday, 2016
<ギフト>
 6月頭に引越しを終え、どんどん大きくなるお腹で、まーったく新居の片付けの進まない状況でイライラしながら、7月中旬には切迫早産の可能性ありという診断で自宅安静に入った。そしてとうとう8月10日から9月12日まで、定期検診から帰ることを許されず、そのまま入院。もう逆に、開き直って入院を受け入れて、37週に入るまで、ひたすらお腹の張り止めのための24時間点滴を入れた状態で、病院のベッドで横になって、ハリーポッターを読んでいた。
 和奈もよく我慢してくれたと思う。1ヶ月も離れて暮らすのは初めてのことで、さすがに後半は、夜泣きをし、ストレスで肌荒れを起こしたみたいだったけれど、それでも両祖母に面倒見てもらいながら、我侭も言わずに過ごしたようだった。

 さて。赤ちゃんは、超順調。37週に入って退院する日には、推定3,000グラムを越えていて、もういつ産まれてくれても良いので、今度はしっかりと動きなさいと言われた。退院した午後から幼稚園のお迎えにも行って、家事も普通にこなしてみたけれど、生まれてくる兆候はない。はちきれそうなお腹は、歩くたびに重みが骨盤にのしかかって、足の付け根が痛くなる。食べても立っても、重力が赤ちゃんを下に下に押すから、恥骨まで痛い。日付をまたいで38週に入った夜には、本気で嫌気が差してきて、アツロウにぶつぶつと愚痴をこぼした。本当に母子共に無事で出産出来るだろうか?なんでこんなに生まれないんだろう?予定日まであと2週間あるけれど、そこまでもったらきっと赤ちゃんは4000グラムを越えてくる。そんなお産は自信がない。何してもしんどいこの状態から、もう何とか抜け出したい。
言っても仕方ないことだったけれど、言わずにいれないほど辛かった。アツロウも大丈夫やて。と、苦笑いするしかなかった。

 そして明けて9月19日の朝。敬老の日。

 幼稚園もお休みだし、もう今日はゆっくり寝てぐうたらしてやろうと思っていた。 8時ちょうどに目が覚めて、トイレへ。便座に腰かけたとたん、「ポンッ!」とお腹の中で大きな音がした。エ?と思うが早いか、突然猛烈な痛みが襲ってきた。
きた!陣痛だ!
トイレの両側の壁に手を突っ張って、歯を食いしばり、脂汗をかきながらゼイゼイと荒い息づかいになって、アツロウを呼ぼうにも、痛過ぎて声が出なかった。でも、陣痛なら痛みの引くタイミングが絶対にあるはず。そう思って待つしかなかった。
 悶絶すること8分。痛みは嘘のように止んだ。本当になかったことのように私は立ち上がり、手を洗ってトイレを出、普通に歩いてベッドへ戻り、寝転んだ。陣痛の痛みにしては、長すぎた。そして、次が来る感じがしない。なんだったんだ?そういえば昨晩も、もっと小さな音だったが、同じように栓の抜けるような音が、トイレに行った時にお腹の中から聞こえた。ハッとしたけれど、痛みもなかったし、これだけ内臓が下に向かって押されてたら、尿が出るときに何かしら音の出るようなこともあるのだろうと思って気にもしなかったのだけれど、音が大きかった分、痛みを伴ったのだろうか・・・。
 いやでもちょっと待てよ。なんだか・・・・なーんとなく、液体が漏れ出ている気がする。あれ?やっぱり破水したのかな・・・?そう思いながら、一応確かめておこうと思い、再度トイレへ。すると、念のために敷いていたパッドが、ピンク色の水を吸い込んで膨らみきっていた。明らかに破水していた。
「パパぁ。あかんかも。いよいよきたかな。日赤に電話するわ。」
と、ドアから首だけ出して、まだ眠っているアツロウに声をかけ、キッチンで日赤に電話した。事情を話しているうちに、グググーっと痛みがまたやってきた。
「どうやら・・・陣痛がきてるみたい・・・です。・・・い、・・・痛い・・・!痛くなってきました。」
ハァハァ言いながら電話口でそう言うと、すぐに来てください。休日用の入り口に車椅子があるから、それに乗ってきて。と、看護士さんに言われた。電話を切って、痛みに耐えているところへアツロウがあかんかぁ?と顔を出し、私の様子を見て目が覚めたらしい。大急ぎで入院用の荷物を車に積み込み、和奈を着替えさせた。

 車に乗り込む頃には、陣痛は3〜5分の感覚できっちりやってきた。日赤まで車で約20分。長浜市に入る頃には、陣痛は1分間隔になり、私はシートとシートベルトを鷲掴みにして、ウゥゥゥッッッ!!!と、うなり声を上げる始末。さすがに後部座席の和奈が怯えて、パパ、早く病院に行ったほうがいいよ!と言い出した。脂汗をかきながら、痛みと痛みの合間に、
「かっちゃん、これで普通なん。大丈夫。今病院に向かってるから。お母さん大丈夫よ(笑。」
と、和奈の気持ちを和らげようと努力したが、痛みを耐える間は、どうしようもなかった。

 病院のロータリーに着いて、アツロウが車を駐車してくる間、私と和奈は車を降りて、休日入り口に向かった。目の前に置かれていた車椅子に、すがりつくように座ったが、また痛みがやってきて、息荒く前かがみになって唸るしかなかった。和奈が車椅子を押せるわけではなく、あとはパパを待つしかないね。と言っていたら、前のエレベーターが開いて、数人が降りてきた。私を見て頑張って!と言う声も聞こえたが、顔を上げることも出来なかった。そんな中、ひとりの女性が、
「陣痛?」
と聞くので、頷くと、
「連れてったげるわ。どこ?2階に上がったらいいの?」
と言うので、それにもとりあえず頷いた。彼女は和奈を連れて今出てきたエレベーターへ私ごと車椅子を押し込み、2階の渡り廊下を歩いた。2階のどこ?と言うので、エレベーターで7階です。とだけ言うと、分かった。と小さく返事があって、また別の棟のエレベーターに一緒に乗り込んでくれた。すみません。ありがとうございます。と言うのが精一杯で、その顔さえ見ることが出来なかった。7階のナースステーションのところまで押してくれ、誰か、と人を呼んでくれた。見知った顔の助産師さんがやってきて、すぐに車椅子を押して助産室へ向かった。車椅子を押してきてくれた女性は、エレベーター横の階段へそれると、頑張んのよ!と言って階段を下り始めた。
「すみません。助かりました!ありがとうございました!」
精一杯の声でお礼を言うと、助産師さんが、
「え?なんで?どなた?」
と言うので、入り口で会った知らない人です。と言うと、えええ!?とビックリしていた。無理もない。後日話を聞いたら、ちょうど私の母親くらいの年の女性だったので、てっきり実母が連れてきたと思ったということだった。感謝してもしきれないが、細身の黒いカーディガンを着た人ということしか分からない。最後まで顔さえ見ることが出来なかった。

 通常なら分娩室へというところだが、病院が経産婦で安産そうな人には院内助産室での出産を薦めていて、私はそれに該当したので、今回助産室での出産予定となっていた。分娩室との違いと言えば、陣痛室から分娩室への移動がなく、最初から最後まで1室で終わらせてしまえること。また分娩台がなく、布団の上での出産になるので、立会いする者が、同じ床の上で出産に立ち会うことが出来るということだった。どちらでも良かったが、今回は和奈が出産に立ち会うことになるかもしれないということから、分娩室より助産室を希望していた。
 助産室へ入ると、出産用の分厚いマットレスの上に転がるように寝転んだ。好きな体位で、とかアットホームな雰囲気を愉しむ。なんていう余裕はどこにもなかった。とにかく大きな波でやってくる痛みと、これからまた長い間格闘しなければならないのだという、その覚悟だけが頭の中をめぐっていた。大慌てで術衣を着た助産師さんたちが3人入ってきて、準備を始めると、
「子宮口・・・8センチ。いや、9センチ!」
と言う声が聞こえた。柴田さん、もう産まれるよ。という声に、自分でもビックリ。そこから何度か痛みを逃すための呼吸の整えを行ったら、すぐに助産師さんが
「子宮口全開です!」
という声が聞こえた。ちらっと時計を見たら、9時55分だった。和奈が助産師さんたちが眺める景色を一緒に見ようと回り込むので、さすがに苦笑いしながら、お母さんの肩のところに座りなさい。と言ってみたが、言うことを聞いてくれるはずもなかった。

 助産室は、分娩室とは確かに違っていた。さまざまな器具がむき出しになった無機質な分娩室に比べて、陽の光が差し込む窓があり、同じ床の上で待機する助産師さんたちや、立会いのアツロウや和奈も極々近くに感じることが出来た。そして、何より、いきめや出せやの、和奈のときのような出産とは違い、助産師さんたちの的確なアドバイスにより、ずいぶんと冷静に出産そのものを実感することが出来た。とても早い段階からいきみ始め、少し押し出しては休みを繰り返すことで、いきみを我慢する苦しみや、目を白黒させるような痛みと闘う必要がなかった。
「柴田さん、もう頭の髪の毛が見えてきたよ〜。今一番しんどいやろうけど、ここが頑張りどころやからね。もう手もあちこち掴まずに、自分のお腹の上に置いてみようか。自分で押し出すように、お腹を押しながらいきんでみて。」
と、言われた時も、もちろん両手両足を踏ん張って唸り声を上げ、目のところに汗の水溜りが出来るほどに苦しんで、荒々しい息づかいをしてはいたけれど、 和奈のときと比べると、どうってことなかった。最後の最後も、
「嗚呼もういきまなくて大丈夫。そのまま。そのまま痛み逃して〜。ほぅら、出てくるよ〜。自分で勝手に出てくる。」
と助産師さんが言った。本当にそんなことがあり得るのかと思ったけれど、次の瞬間、頭がぬるりと押し出されて出る感覚まで味わうことが出来た。そして次の瞬間、
おぎゃぁっ!!!
という元気な産声が聞こえた。
「おめでとうございます!大きいわ。柴田さん、元気な男の子!見てこのへその緒!そりゃ大きくなるわ。りっぱなへその緒よ〜!」
と、助産師さんのひとりが嬉しそうに声を上げた。 朝8時に突然降って湧いた痛みから、わずか2時間ほどの、10時14分、柴田家の第2子で長男の淳弘(あつひろ)が誕生した。
 胸の上に届けられた小さないのちは、まだあちこち湿っていて、温かでふくふくとお腹で息をしていた。和奈とアツロウがわぁ〜と言って、その姿を覗き込んだ。
「あっちゃん、よく頑張ったねぇ!お疲れさま。かっちゃん、弟よ〜。生まれたねぇ!かわいいねえ!」
そう言いながら、十分に温められた部屋の中で、たった今仲間入りした家族を、アツロウと和奈と3人で、そっと撫でてみたり、ちょっとつついてみたりした。
「柴田さん、めちゃ安産やったねぇ!これやったらも1人いけるで。」
と言う助産師さんに、だって、もうこの子でも二十歳になったら私、65よ。責任持てない。ムリムリ。と言ったら、ほんまやな。とペロリと舌を出していた。

 あまりに楽なお産劇で、産後の疲れ方が全然違った。すぐに起き上がって和奈が淳弘を抱っこするのを手伝ったり、お腹が空いた。たっぷりサンドイッチが食べたい!とアツロウに頼んでコンビにまで走ってもらい、産後1時間足らずで朝食をしっかり取り、その後は間に合うはずのなかった祖父母たちが来るまでの間、和奈のお守りに絵本を読んでやれるほどの余裕があった。

 また、退院後に始まった育児においても、第1子の和奈のときとはまったく違ったものになっていた。赤ちゃんを扱うことについての緊張感がまるで違った。和奈のときは、くっと小さな声を出してもぱっと目が覚めてその顔を覗き込むほど緊張し、お世話することの何もかもが、大仕事だった。夜中に授乳しながら、この子が自分でスプーンを握ってご飯を食べられるようになるまで、無事にちゃんと大きくしてやることが出来るだろうかと不安になって、ベソをかいたこともあったし、沐浴など、1日で一番気の重い儀式のような扱いだった。ところが淳弘においては、家での沐浴3日目で、誤ってシャワーを出してしまい、それがまともに顔にかかった淳弘が暴れたので、一瞬だったけれど、ベビーバスの中に、どぼんと落としてしまったのだ。もちろんダブルでビックリした赤ちゃんは、殺されるかというほど泣き喚いたけれど、私はと言えば涙が出るほど大笑いして、ごめんごめんと謝りながら身体を拭いてやり、おっぱいで黙らせるという始末。和奈のときにやってたら、ショック状態で何日もしめつけられそうなほどに胸が痛んだことだろう。ベビーベッドも出したものの、一度も使っていない。夜は私の頭の上に転がしておく。添い乳をして、眠ったら、頭の上へ。そうやって、身近に置いておくと、あかちゃんも体温を感じて安心するのか、夜泣きがない。新生児ニキビが出来てきても、治るものと知っていれば、ちょっと丹念に顔を洗ってやるかくらいで、気にもならないし、脇の下や首筋なども、和奈のときよりずっと上手に手早く洗えているらしく、かぶれがない。お母さんというものは、それほどに、最初の育児で命がけで闘うものなのだということを、初めて知った。最初にいのちを削るほどの勢いで神経をすり減らして子育てをするから、2人目からは本当に楽に、そして愉しみながら育児が出来るのだ。もちろんそれに甘んじて、病気などのサインを見逃すことのないよう、気遣ってはいるけれど、母親が育児を愉しむと、赤ちゃんもそれを感じ取って安心するものだということが分かった。そう思えば、和奈にはずいぶんと気の毒なことをしたなと思う。

 こんなふうにして始まった2人目の育児も、今日で生後1ヶ月。明後日の1ヶ月検診を終えたら、私もようやくお風呂に浸かることが許されるし、赤ちゃんもベビーバス卒業だ。幸い気候も、日中はまだ半袖で過ごせるほど過ごしやすい。だから、どうか、今後の育児が、心配と不安が怒涛のように押し寄せる病院通いの育児になりませんようにと祈るばかり。もう和奈のときに2人分やったと言いたい(笑。このまま楽しく年末年始を迎えて、無事温かな春を迎えられますように。
 神様、わたしに2つも素敵なギフトをありがとう!この宝物を、アツロウと精一杯、守って生きてゆくと誓います!